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農学との対話2

UPARLのアジアンライブラリーカフェで恩師の話をすることになった。石井龍一先生のことである。私は1988年、大学2年生の秋に、初めて石井先生にお会いした。進振りを決める前、1988年の夏であったと思うが、いくつかの本郷・弥生の研究室を訪ねた。薬学や生化学も訪ねてみたが、記憶に残っているのは、農学部の農芸化学科の有機化学の森謙治先生。そして農業生物学科の作物学研究室も訪ねたが、石井先生はご不在だった。実は後で分かったのだが、アフリカに出張されて、マラリアに感染されてしまい、休養されていたのであった。作物学研究室で石井先生にお会いできなかったのにもかかわらず、なぜかその学科、農業生物学科を選んでしまった・・・応用科学への関心であったかもしれないし、サークルで群馬の観光農園でアルバイトをしていたためかもしれないし、栃木の田舎で育てられたことも関係していたのかもしれない。中学生の頃エチオピア飢饉が報じられてショックを受けたことも関係していたかもしれない。出会いと導きは不思議で、説明しきれない部分も残る。 農業生物学科で学部3年生4年生、修士1年生、2年生を過ごした。振り返ると、平坦ではなく、勉強だけに没頭していたわけでもなかった。4年生になるときに研究室を選ぶのだが、当時、育種がバイテクの追い風があり人気があったが、ぼやぼやしているうちに育種はもう数が埋まってしまった。園芸も面白いと思っていたが、なぜか、作物を選んだ。3年生の時の石井先生の講義が面白かったからかもしれないし、何となく重要な研究室ではないか、という思いがあった。事後談だが、住友化学で農薬開発の仕事をしていた叔父(鴨下克三;故人)に、作物学研究室を選んだことを話したところ、作物学は王道だと思う、と言われた。作物と育種の関係は、この後ずっと私の研究と関係を持ってくる。 さて、話を戻すが、大学生、大学院生当時の自分のことを振り返ると、今の学生たちにも、あまりあれこれ言って規制をしたいと思えなくなってしまう。当時の作物学研究室は、助手に佐々木治人先生(故人)、伊藤亮先生(故人)、助教授に山岸徹先生、そして石井龍一先生は1987年から作物学研究室の教授を務められていた。博士、修士の学生もたくさんいた。 さて、石井龍一先生の遺してくれた言葉や書き物を見てみたい。 *「食糧不足は来るか?」(世界の農林業1998) *「我が国における食料自給率向上の可能性」(学術の動向2001) *「ヒトは肉食をやめられるか」作物学の立場から(動物と人間の関係学会誌2003) *「北朝鮮の農業事情」(農業2004) *「私が研究者になるまで―田んぼに始まり田んぼで終わる研究生活」(学術の動向2005) *「スローライフは実現するか」(農業2005) *「農学部での語学教育」(農業2007) *「アフリカでの稲作支援とフィールド研究者の養成」(農業2008) *「我が国の大学における農業教育はどうあるべきか―今こそ議論が必要な時―」(農業2010) これらを見ると、食料生産という農学、作物学のミッションと農学教育をめぐる石井先生の実践と考えを知ることができる。飢餓から社会を救い、人口増加に対する食料を供給することは、作物学の大きなミッションであった。農学全体のミッションとして敷衍すれば、生物生産の増強である。このミッションの重要性は、世界的な視点で考えるとき、今も当てはまる。世界の人口は今も増加し続けており、世界人口が最大になるのは2084年、102.9億人と推定されている。2025年の世界人口は82億人と推定されているので、これから約60年間の間に、20億人が増加する。アフリカでありアジアである。社会的な課題として、食料を含む生物生産力を強化することが要請され、石井先生はそれに学者として誠実に答えを求めてこられたのだ。経済成長により動物性たんぱく質の摂取量が増加することも、人口圧を高めるのである。 ただし、日本は、1960年代、70年代以降、食料は輸入して、工業製品を輸出する国として歩んだ。食料自給率は低下し、農業の経済生産や従業者数でみた相対的な重要性は低下していった。石井先生は、この事態(食料自給率の低下)は日本が国としてなした選択なのだ、と言われていた。石井先生はこのような社会変化を事実として受け止めながら、こうした政策や社会変化に対して、疑問を呈し展望を描こうとされていたように思う。 石井先生は、日本の事態と、世界の実情とを、両方よく見ておられた。アフリカ、北朝鮮への石井先生の視線と実践は、日本の世論にずっと先んじていたと思う。1990年代から中国の3つの大学(南京農業大学、吉林農業大学、中国農業大学)でも集中講義をされていた。国外にも開かれた視線と活動を持たれていた。同時に、20世紀の後半から21世紀へ、科学技術と高次産業の発展によって一見豊かに成長した日本の社会に対して、農学という場からの問いかけを忘れなかった。「食糧自給率向上の可能性」、「スローライフは実現するか」と、問いを持ちつつ、農学の研究と教育をリードされておられた。「農業」という大日本農会の雑誌での巻頭言が多いが、日本で最も古い雑誌で、明治14年創刊であるそうだ。石井先生にとって、農業への思いは深いものがあった。 また、栄養不足や飢餓状態の人々も多く、2023年の国連報告では7億3300万人と推定された。世界では11人に1人、アフリカでは5人に1人である。食料が必要な人たちに届けられるようなスマートなシステムづくりが求められる。 また、過剰栄養摂取、肥満といった問題もあれば、拒食症といった問題もあり、食をめぐる、多様な課題が生じている。食品ロスのような問題もあれば、食料生産の担い手不足の問題もある。 サスティナビリティ、持続可能性という言葉がすっかり、人口に膾炙したが、環境への調和ということがもう1つの重要な柱とされている。最近ではGX(グリーントランスフォーメーション)という言葉もあるが、転換の必要性に重点がある。社会全体が、どのような産業でも、環境負荷を減らした生産様式に転換することを志向している。 話しを締めたい。石井先生には、「かもしたくん」と呼ばれていた。いろいろな言葉をかけていただいた。ご相談していたこともあった。石井先生のご配慮に気が付かずに突っ走っていたことが多くあった。若気の至りである。石井先生が亡くなられてから15年になる。今でも仕事をしながら、石井先生にお尋ねしたら、どうお答えくださるかしら、と想念することもある・・・「これをしなきゃだめだ!」と言われた記憶がない。若輩者に自由を制限せず、よいところを取り上げてくださった。懐が深く、寛大さをもってご指導いただき、育てていただいたことが思い出される。謙遜な方でいらっしゃった。 アジアンライブラリーカフェ(2025.8.6, 12:15~13:45)では、石井先生の母上、丸岡秀子さんのお話もしたいと思っている。農学と生物資源環境学の魅力も伝えてみたい。 本稿では触れていないが、人口と食料については、別の視点、ヘブライ語聖書(旧約聖書)の読解から伺えることを書いてみたい。また、農学のミッションが、時代と共に変わって見えてくることについても書いてみたい。変わらない面もあるのだが。(2025.7.10)

農学との対話1

石井龍一先生(故人)の作物学研究室で修士課程の時、「農学とは何か」という院ゼミをして、探求をしていた。育種学研究室の職員をされていた高木俊江さんたちが勉強会に誘ってくた。

深井周先生(クイーンズランド大学名誉教授)のもとで、子実用ソルガムの窒素利用の品種間差について、博士課程の研究をしながら、栽培試験、取りまとめ、論文執筆など、農学の中の作物生理学の研究のやり方を指導いただいた。学位論文を提出して、「緑の革命」の拠点機関である国際稲研究所(IRRI)で、プロジェクト研究員として3年弱、Len Wade博士の下で、天水稲の改良の研究をやらせてもらった。IRRIではポット試験しかしなかったが、Wadeさんのタイ、バングラデシュ、インドの天水稲コンソーシウムを回らせてもらった。

タイの有機農業を支援するために日本から派遣されていた特農家、村上真平さんの農園を訪ねて、彼と話をする機会があったが、どうしてなのか、話がかみ合わなかった。IRRIに来て、熱帯の稲作の改良のために研究をしている自分と、有機農業をタイに展開しようとされていた村上さんと、どうして話が弾まなかったのか?この思い出は、農学の社会の中での相対的なポジションを理解していくうえで貴重な体験となった。その後私は、1999年に東京大学の教員として就職をして、依頼大学人として歩んできたが、社会的公正さを含めた仕方で、大学院講義「サスティナビリティと農学」を開講した。多様な構成員から成る社会の中での農学の在り方を考えて、よりよい展望を打ち出すことも、また大学人の責務と特権だろう。

同じくものづくりをする工学と比べて、自然と生物資源とをより直接的に扱う農学では、自然環境の多様性や、生物との関わり方における自由度のために、比類のない多様な様相を呈する。また、自然の一部である自分自身がどのような生産活動、消費活動をデザインするか、問い掛けられる。

多様性は、自然環境だけでなく、歴史的な変遷、文化や民族、人種も含むし、経済力の違いによる多様性も含まれる。農学の対象の多様性を、力と数の論理で整理するのではなく、公正さを基礎に認めてゆくのであれば、現代社会で問題となっている、「分断」の和解と修復に、農学的な洞察が、大きな変革をもたらすことが期待できる。

知識体系だけでなく、農学の心を伝えたい。農学は3人称として記述されるだけでなく、2人称、1人称で描ける部分がある。もう1つの人称もあるはずだ。農学を比喩的に、庭の手入れをして、畑に播き刈り入れをして、都に仕入れをする営みとして描くこともできるかもしれない。

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